山下達郎さんが影響を受けたアーティスト/ミュージシャン

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今回は山下達郎さんが影響を受けたアーティスト/ミュージシャンを紹介していきます。

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山下達郎さんのプロフィール

山下達郎は、1953年生まれの東京出身のシンガーソングライター、ミュージシャンです。彼は1960年代のアメリカンポップス・ロックに深く影響を受けた楽曲を制作し、 日本におけるアカペラ・ドゥーワップの第一人者として知られています。特に、自身のヴォーカルを多重録音する「1人アカペラ」手法が有名です。

山下達郎の音楽制作には非常なこだわりがあり、流行や時代に流されない職人芸として評価されています。編曲からギター、コンピューターの打ち込み、シンセサイザー、パーカッションまで全てを一人で手がけることがあるため、音楽制作の多岐にわたるスキルを持ち合わせています。

音楽活動は中学時代にベンチャーズに影響を受けて始まり、大学在学中に大貫妙子らとシュガーベイブを結成しました(1973年)。同年、はっぴいえんど解散コンサートに参加し、大瀧詠一と出会い、伝説の名盤「Songs」を制作しました。1982年に竹内まりやと結婚し、彼女のアルバムをプロデュースするとともに、KinKi Kids「硝子の少年」や嵐「復活LOVE」などの他アーティストへの楽曲提供も多数行っています。

代表曲の「クリスマス・イブ」は、1987年から30年連続でオリコンランキング100位以内を記録し、ギネス世界記録に公式認定されています。

コンサートに関しては、武道館クラスの大型会場ではなく、NHKホールなどの小規模会場を好むと述べています。

日本の70〜80年代のシティポップの人気は世界中でピークを迎え、その最重要人物として山下達郎は世界中で注目を集めています。彼の洗練されたサウンドと卓越した音楽性は、今もなお多くのファンを魅了し続けています。彼の主な作品には「RIDE ON TIME」、「永遠の少年」、「僕の中の少年」などが含まれています。日本のポップスシーンに多大な影響を与え、多くのミュージシャンに尊敬される存在です。

山下達郎さんが影響を受けたアーティスト/ミュージシャン

「山下達郎さんサンデーソングブック書き起こし「未来の自分が振り返る」というブログにて、山下達郎さん、サンデーソングブック「そんな事聞いて、どうすんの~好きな音楽,ミュージシャン関連~」2009年5月から2015年12月までのオンエアから、「好きな音楽,ミュージシャン関連」のQ&Aをまとめという記事から「私、山下達郎が選ぶ5代アーティスト。民放FM誕生40周年記念企画」という記事を引用させていただきました。

THE BEACH BOYS(ザ・ビーチ・ボーイズ)

山下達郎といえば、日本を代表するビーチ・ボーイズ愛好家として知られています。

ビーチ・ボーイズの傑作「ペット・サウンズ」の国内再発CDでは、山下達郎自身がライナーノーツを執筆しました。1984年に発表したオリジナル・サウンドトラック「BIG WAVE」のB面は、すべてビーチ・ボーイズとブライアン・ウィルソンに関連した楽曲のカバーで構成されています。また、学生時代に制作した「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」は、A面が全てビーチ・ボーイズの楽曲カバーとなっており、どちらの作品も音楽愛好家らしい、質の高いカバーとなっています。

山下達郎さん曰く・・・誰がなんと言おうとビーチ・ボーイズは『Surfer Girl』『Little Deuce Coupe 』『Shut Down vol.2』『All Summer Long』この4枚。これが全盛期のビーチ・ボーイズのサウンドでございます。とのこと。

Young Rascals(ヤングラスカルズ)

ヤング・ラスカルズから多大な影響を受け敬愛してやまない山下達郎さんがご自分のラジオ番組「サンデーソングブック」のエンディング曲にしているこの曲は1967年に全米No1シングルになったヤング・ラスカルズのGroovinのカバーです。

JAMES BROWN

吉岡正晴「今日はジェームス・ブラウンにおけるファンクの誕生という一つのテーマを達郎さんから頂いて、それを時系列でご紹介いただきます。」

山下達郎「正確にいうとジェームス・ブラウンが、我々がファンクと呼んでいるものに変わっていった時代が60年代中期くらいからですが、その音楽的な変遷を、短時間で。ジェイムス・ブラウン以外のファンクまでいくと語ることが多すぎて。また音楽的な構造についても少し紹介します。」

吉岡正晴「もちろん今日の音源は、達郎さんがご自宅でマスタリングしていただいた、特上の音になっております。」

山下達郎「初期のジェームス・ブラウンは、本当に50年代的な、例えばリトル・ウィリー・ジョン(Little Willie John)とかそういうブルースシンガーの影響がすごくあったんですけれども、それがだんだん独自の世界になるんですが、まずはワンコード化。コードが一個しかないという。ダンスをより中心にするのと、ステージでの観客とのインフルエンス、変化がなくて押して押して押しまくると。それによってブリッジが変化するところがまた変化になると、そういうステージのルーティーンをものすごく意識したレコード作りになりますから。それの萌芽がだいたい67年前後なんですよね。僕が一番感じた変化の大きいものは、Let Yourself Goという67年の、これはソウルチャートで5位、全米チャート46位になった曲です。この辺から本当にジェームス・ブラウン独自の音世界になってきたのではないのかなぁという感じですので、まずはそこらへんから行ってみたいと思います。」

山下達郎、ジェームス・ブラウンを語る ブルースからファンクへ より

ラジオFMのメモ | 山下達郎、ジェームス・ブラウンを語る ブルースからファンクへ

THE ISLEY BROTHERS(アイズレー・ブラザーズ)

60年代から名作を多く残してきた、米国が誇るバンド、アイズレー・ブラザーズからも多くの影響を受けています。名盤の多い彼らの作品から、黄金期T-NECK時代、1972年の傑作「ブラザー・ブラザー・ブラザー」をセレクトしました。ファンク/コンテンポラリーR&Bといった、ロックとブラックミュージックの混ざり合ったサウンド。10分を超える名曲「It’s Too Late」をはじめ、キャロル・キングからの提供曲を中心にポップな雰囲気と上質な楽曲が詰まった作品です。

ロックとブラックミュージックとポップの度合いのバランス感が、シュガーベイブ「songs」を思わせます。 特に「DOWN TOWN」はアイズレーを意識して制作されたそうです。またタツローさんのアイズレーの中で特にお気に入りは「HURRY UP AND WAIT」だそうです。80年代当たりの「BONBER」などのディスコナンバーに強く影響を感じますね。

SMOKEY ROBINSON(スモーキー・ロビンソン)

スイート・ソウルといいますと、もうとにかく、一番元祖、そして最高峰はスモーキー・ロビンソンであります。
今日はSmokey Robinson & The Miraclesの最後期の作品。
1972年のアルバム「Flying High Together」という・・

僕、このアルバム大好きなんですけれども!
プロデュースがジョニー・ブリストルでありますが。
ここからシングル・カットされまして。
1972年、全米ソウル・チャート9位というベスト・テン・ヒットになりました。

ジョニー・ブリストル プロデュース・・
曲も書いておりますが。
アレンジにH. B. バーナム
すばらしいオーケストレーション!
「We’ve Come Too Far To End It Now」

♪ We’ve Come Too Far To End It Now/Smokey Robinson & The Miracles

このアルバム、結局CD化されませんでした。
今は配信でしか聴くことができませんが。

♪ Who You Tryin To Fool Girl/Chocolate Syrup

山下達郎さん サンデーソングブック 2020年11月29日『スイート・ソウルで棚からひとつかみ』(#1468) より

山下達郎さん サンデーソングブック 2020年11月29日『スイート・ソウルで棚からひとつかみ』(#1468)
長崎市近郊の紅葉も終わりに近づいてきました。諫早市内中心部から国道207号を佐賀方面に向かう途中、小長井地域の道路脇にフルーツをかたどった通称『フルーツバス停』があります。立ち寄った時は夕暮れ時。その自然のダイナミズムに圧倒されました。長崎

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